推しの演技力と役者というもの
推しの梅津瑞樹くんの一人演劇
Solo Performance Engeki Happy Wedding
一人演劇は二作目のようだが私は初観劇。
一人芝居とはどんなものか?、梅津くんがファンサイト配信でよく見せてくれる即興劇のキャラクターのようなものが登場してくるのか?、と予想していったが、まったく予想を裏切られた。もちろん、すごく良い意味で、である。
いつもの即興劇はこのための練習だったのではないかと思うほど、即興劇とは段違いの熱量とキャラクター性を持って作品が演じられていく。
もちろん脚本も演出もよいのだが、「一人」という壇上でも、もはや役が重なることなくきちんと個別の個人として生きている。
一人の人間が同時に(同じ劇中・短時間でという意味)こんなに切り替えができるものなのか?!と驚愕した。
現在、公演中のため内容には触れないが、とにかくまるで別人としか見えない登場人物たち。
声も変えていて年齢が伝わってくるし、立ち姿・や立ち居振る舞い・表情・目つき、全てがそのキャラごとに違う。そしてそれぞれの役が持つ感情を繊細に描いている。
他の役者さんのこういうのを見たことはないが、梅津瑞樹という役者が凄いと切に思った。
情緒をどう保っているのか?と疑問に思うほどのそれをぜひ見ていただきたい。
(評論家でもないのに熱く語りますが!)
と同時に、そんな梅津瑞樹という人物にも興味が湧いてくる。もともとあった興味がもっと、それこそ何倍という桁の問題ではなく、もっと深く知りたいという意味である。
話は変わるが、私は趣味で小説を書いており、昔は声優にも憧れていた。元来のアニメっ子で、大人になってからはアニメの声優さんたちの表現力に自分もああなれたらと思ったものだ。(声優の訓練などはしていません)
昨今は2.5次元舞台にハマって声優ではなく役者の演技にも触れる機会が増えた。なにかで「声優も"役者"なのである」と聞いたことがあるが、ああーなるほど!!と思った。
そして、ドラマのテレビ俳優も舞台俳優も"役者"。
演じるステージによって演出の特性や演じ方の特徴はあるのかもしれないが、どれも等しく役者である、それを今回の舞台では感じた。
と同時に、いいなあと。
自分は役者でもなんでもないが、こんなふうに、目の前にその人がいるように、それが見えるように表現したいと。
小説にも言えることだと思う。
"表現者"として刺激をうけた。インスピレーションをもらった。
とても素敵な舞台であった。
固い表現ですみません。
このほうが必要な部分が伝わるかと思って。
そんな表現方法を選んで試してみるのも彼の影響かもしれない。
素敵な役者さんだ。